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太田家住宅(福山市)

(おおたけ じゅうたく)

太田家住宅は、広島県福山市鞆町に位置する歴史的な建造物で、瀬戸内海の近世商家建築を代表するものとして知られています。この住宅は、かつて福山藩の御用名酒屋として保命酒の醸造を行っていた「中村家」の屋敷でしたが、明治時代に太田家の所有となり、現在に至ります。1991年5月31日には、国の重要文化財に指定され、その価値は日本の文化財として高く評価されています。また、鞆七卿落遺跡(ともしちきょうおちいせき)として、1940年に広島県指定史跡にも指定されています。

建物の構成と特徴

太田家住宅は、本邸と別邸の「朝宗亭(ちょうそうてい)」から成り立っています。本邸は、主屋をはじめ、保命酒醸造蔵など9棟の建物で構成されており、朝宗亭は主屋など3棟の建造物が含まれています。これらの建物と敷地が一体となり、歴史的価値を保ちながら重要文化財に指定されています。

本邸の敷地は南北に長く、東南の角には2階建ての主屋が位置しています。その西側には炊事場や蔵などの付属建物が並び、敷地の北側には3棟の保命酒蔵を含む土蔵群が建っています。江戸時代の商家建築が良好な状態で保存されており、その文化的価値は非常に高いものとされています。

本邸の建造物

太田家住宅本邸の主屋は、18世紀中期に建てられたもので、桁行14.7m、梁間12.9mの規模を持ち、南面は入母屋造、北面は切妻造、東南西の各面には庇(ひさし)が設けられ、本瓦葺の屋根を持つ重厚な建物です。この他、炊事場や蔵、釜屋、保命酒蔵など、多くの建造物が残されています。特に、保命酒蔵は18世紀後期から19世紀前期にかけて建てられたもので、南保命酒蔵、北保命酒蔵、東保命酒蔵の3棟が現存しています。

朝宗亭の建造物

別邸の朝宗亭は、主屋、門屋、離屋の3棟の建造物で構成されています。朝宗亭の主屋は、文化元年(1804年)以前に建てられたもので、桁行13.8m、梁間10.0mの規模を持ち、一部は2階建てです。南側と東側が直接海に面しており、江戸時代の商家の屋敷構えを良好に保存しています。また、隠居屋として使用されたほか、藩主が訪れた際の本陣としても使用されるなど、歴史的にも重要な役割を果たしました。

鞆七卿落の歴史

太田家住宅は、幕末の動乱期にもその名を刻んでいます。1863年(文久3年)8月23日、尊皇攘夷派の三条実美ら7人の公卿が公武合体派に追われ、京都から長州へ逃亡した際に鞆港に立ち寄りました。また、翌1864年(元治元年)には、彼らが長州から京都へ向かう途中、再び鞆港に寄港し、太田家住宅(当時は中村家)の主屋と朝宗亭に宿泊しました。この歴史的な出来事は「鞆七卿落ち」として知られ、太田家住宅はその舞台となったことから、広島県指定の史跡として指定されています。

文化財としての価値

太田家住宅は、以下の建物および敷地が国の重要文化財に指定されています。

本邸の重要文化財指定建造物

朝宗亭の重要文化財指定建造物

交通アクセス

太田家住宅へのアクセスは、以下の方法が便利です。

まとめ

太田家住宅は、江戸時代から続く商家建築としての歴史的価値を持ち、鞆の浦の風景とともに訪れる人々に当時の風情を感じさせます。保命酒の製造所としての役割や、幕末の七卿落ちの舞台としての歴史的背景など、見どころが多く、訪れる価値のある文化財です。鞆の浦観光の際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

Information

名称
太田家住宅(福山市)
(おおたけ じゅうたく)

福山・鞆の浦

広島県