入船山記念館は、広島県呉市に位置する入船山公園内の歴史的な博物館です。この記念館は、呉の地域史や旧大日本帝国海軍に関連する貴重な資料を展示しており、訪れる人々に呉の歴史と文化を学ぶ場を提供しています。
入船山記念館は1967年に開館し、広大な敷地を持つ施設です。その敷地面積は約1.2万平方メートルで、呉市中心部から東へ約1kmに位置しています。この博物館は、旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に郷土館や歴史民俗資料館などで構成されており、呉の郷土資料や大日本帝国海軍に関する資料、さらには金唐革紙の関連資料なども展示されています。
本館となる旧呉鎮守府司令長官官舎は、現存する明治期の海軍高級将校庁舎として非常に珍しいもので、国の重要文化財にも指定されています。この施設はヘリテージング100選にも選ばれており、正岡子規の句碑や呉市立美術館への道も見どころの一つです。
入船山の歴史は古く、703年(大宝3年)には亀山神社がこの地に遷座しました。しかし、1886年(明治19年)に大日本帝国海軍が鎮守府を開設することとなり、この土地は接収されました。その後、1889年(明治22年)には洋風木造2階建ての軍政会議所兼水交社が建設され、1892年(明治25年)からは司令長官官舎として使用されるようになりました。
戦後、1956年(昭和31年)まではイギリス連邦占領軍(BCOF)の司令官官舎として使用され、その後は大蔵省が管理しました。1966年(昭和41年)、旧軍港市転換法に基づき呉市に無償貸与され、1967年(昭和42年)から入船山記念館として一般公開されました。現在、この施設は指定管理者制度により、トータルメディア開発研究所とビルックスによる運営グループが管理を行っています。
旧呉鎮守府司令長官官舎は入船山記念館の本館にあたります。木造平屋建で、建築面積は527.1平方メートルです。1905年(明治38年)の芸予地震で初代の司令長官官舎は倒壊しましたが、同年に再建された2代目の建物が現在残っているものです。この建物は、呉鎮守府建築課課長の桜井小太郎が設計し、1998年(平成10年)に国の重要文化財に指定されました。
官舎は和洋折衷のデザインで、手前の洋館と奥の和館が廊下で繋がっています。洋館部はイギリス風の半木骨造(ハーフティンバー様式)で、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺が特徴です。さらに、玄関にはイギリス製のステンドグラスが施され、執務室には日本国内に数例しかない金唐革紙が貼られています。
歴史民俗資料館は1986年(昭和61年)に開館しました。鉄筋コンクリート構造の地上2階建てで、呉市の歴史や旧海軍に関連する幅広い資料を収集・展示しています。その中でも、伊能忠敬が測量した様子を描いた『浦島測量の図』や『伊能忠敬御手洗測量之図』は市指定の有形文化財であり、特に忠敬が実際に測量している姿を描いた図としては国内で唯一のものです。
1979年(昭和54年)に開館した郷土館は、鉄筋コンクリート構造の地上3階建てで、呉の旧海軍に関する資料を中心に展示しています。呉市の歴史や文化をより深く知ることができる場所となっており、訪れる人々に地域の貴重な遺産を紹介しています。
1号館は、旧高烏砲台火薬庫を復元したもので、1901年(明治34年)に音戸の瀬戸を見下ろす場所に整備されました。この火薬庫は、国内でも珍しい総石造りのもので、国の登録有形文化財に指定されています。現在は郷土画家による絵画が展示されています。
2号館は1967年に開館し、煉瓦造平屋建の建物です。延床面積は76.0平方メートルで、こちらも呉の歴史に関連する資料が展示されています。
旧呉海軍工廠塔時計は、呉市の有形文化財として保存されており、高さ約10メートル、文字盤直径は1.5メートルの大きな時計です。この時計は1921年(大正10年)に呉海軍工廠に設置され、当時としては非常に画期的な構造を持っていました。
入船山記念館の敷地内には、旧東郷家住宅離れが国の登録有形文化財として保存されています。元々は呉市内の別の場所にあったこの建物は、東郷平八郎が使用していたことで知られています。現在、庭園も含めて見学することができます。
入船山記念館は、呉市の歴史を学ぶ上で欠かせない場所であり、訪れる価値のある施設です。歴史的な建造物や貴重な資料を通じて、呉の魅力を再発見できるでしょう。