熊野神社は、広島県三次市畠敷町に鎮座する歴史ある神社で、比叡尾(ひえび)山の南麓に位置しています。神社は、その長い歴史と共に、地元の人々に深く敬愛されてきました。
熊野神社の主祭神は若一王子(にゃくいちおうじ)、熊野権現、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)などが祀られています。これらの神々は、日本の神話や歴史において重要な役割を果たしており、古くから人々の信仰の対象となってきました。
熊野神社の起源は社伝によると約1500年前に遡ります。若一王子を祀ったのが始まりとされ、その後、雄略天皇が紀伊国の熊野権現の分霊を勧請し、神社が創建されたと伝えられています。もともとは若一王子社や若一権現と呼ばれていましたが、1870年(明治3年)に現在の熊野神社へと改称されました。
中世には、三吉氏が熊野神社を深く崇敬しており、1556年(弘治2年)には三吉致高・隆亮親子が寄進した金銅製板塔婆や、1580年(天正8年)に隆亮が奉納した鉄製の釣燈籠が今に伝わっています。
熊野神社の由緒には、日本国第二十代天皇である安康天皇の同母弟である大泊瀬幼武皇子(おおはつせわかたけのみこ、後の雄略天皇)が関わっています。紀元420年、雄略天皇は都を離れ、吉備国(現在の岡山県)に至り、仮の宮殿を構えました。その際、紀伊国熊野の大神を祀り、「天皇の位に即くことができた暁には、この地に社を建立し、大神を祀る」と誓いを立てました。
その後、雄略天皇は都に戻り、天皇に即位しました。そして、近臣である小原茅麿を通じて熊野大神を現在の畠敷の地に祀らせたとされています。雄略天皇の遺跡として知られる「王の壇」や、御猟を行ったと伝えられる「御猟川」も現存しています。
熊野神社はその後、広く信仰を集め、北備一帯にその崇敬区域が広がりました。特に三次郡を中心に強い影響力を持っていた三吉氏が深く崇敬し、分霊が各地に勧請されました。旧三次郡をはじめ、三谿郡、恵蘇郡、三上郡、奴可郡、高田郡に至る広範囲で信仰されていました。また、足利尊氏も当社を信仰しており、暦応2年(1339年)には社殿の修復が行われた記録が残っています。
戦国時代末には、熊野神社の崇敬区域は三次郡富田庄の十村に広がり、その後、寛永年間には三次藩の浅野氏時代を経て、各地に独立した氏神が立てられました。当社は五穀豊穣、家内安全、災厄消除、商売繁盛、学問成就、安産などのご利益があるとして、地元の人々に篤く信仰され続けています。
熊野神社には、数多くの文化財が伝えられています。特に本殿や拝殿、鳥居、宝蔵などが特徴的です。中でも宝蔵は江戸時代初期に建てられたとされており、広島県の重要文化財に指定されています。校倉造の建物で、屋根は瓦葺き。内部には木造阿弥陀如来坐像や、鎌倉時代の運慶作と伝えられる木造の狛犬一対など、貴重な社宝が保管されています。
また、境内には県天然記念物のシラカシがあり、樹齢はなんと2000年以上とされています。このシラカシは、長い年月を経て神社と共に地域の歴史を見守り続けてきました。
熊野神社の北東には、標高420mの比叡尾山がそびえています。この山には、中世にこの地域を支配していた豪族三吉氏の居城跡があり、歴史的な価値を持つ場所となっています。山全体や、隣接する岩屋寺周辺には文化遺産が点在しており、訪れる人々に歴史の足跡を感じさせる場所です。
熊野神社へのアクセスは、JR芸備線の八次駅から徒歩で約30分ほどです。山間に位置する神社ですが、自然豊かな景観と歴史的な雰囲気が楽しめるため、訪れる価値のある場所です。