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三次鵜飼

(みよし うかい)

三次鵜飼は、広島県三次市において毎年夏に行われる伝統的な鵜飼です。現在では、主に観光用として行われており、三次市の馬洗川で6月から9月までの期間に催されています。鵜飼とは、鵜という鳥を使って魚を捕らえる伝統的な漁法で、古くは『古事記』にもその存在が記されています。

平成27年(2015年)には、「三次鵜飼の民俗技術」として広島県無形民俗文化財に指定され、地域の重要な文化遺産となっています。

三次鵜飼の特徴

三次鵜飼は、日本国内で最も長いとされる6.75メートルの手縄(鵜を繋ぐ縄)や、軽枯舟(かるがれぶね)と呼ばれる細長い鵜舟など、他の地域の鵜飼とは異なる特徴を持っています。また、篝火(かがりび)にはカーバイドランプが使用されており、この光が遠くまで届くため、手縄が長くなるなどの改良が行われてきました。

鵜舟は5枚の板で作られており、幅は約35~45センチメートルと非常に細く、波が立ちやすい馬洗川の合流地点で操船するのは非常に難しいとされています。それでも、鵜匠たちは代々受け継がれた技術で、鵜の飼育・訓練や操船を巧みにこなしています。

鵜匠の技術と伝統

三次鵜飼の技術は、父子相伝で代々受け継がれており、現在でもその技術が継承されています。平成時代に代替わりした現役の鵜匠は3名おり、彼らは日本国内の鵜匠グループの中でも最も若いとされています。鵜匠たちは、古式を守りながらも烏帽子に漁服、腰蓑を身にまとい、伝統的な装束で鵜飼を行っています。

三次鵜飼の観光

観光鵜飼は、6月から9月にかけて行われ、鵜舟と遊覧船が馬洗川の下流から巴橋までの水域を回遊しながら進みます。三次親水公園内に鵜飼乗船場が設けられ、そこを拠点に観光客が鵜飼を楽しむことができます。運行開始となる6月初旬には、川開きとして「みよし鵜飼まつり」が行われ、地域を挙げての大きなイベントとして賑わいます。

観光鵜飼は、夜のとばりが川面に降りるころに始まり、鵜匠が操る鵜が篝火に照らされながら水中に潜り、魚を捕らえる光景は幻想的で、まるで歴史絵巻を見ているかのような感覚に包まれます。観光客は遊覧船からその美しい光景を間近で楽しむことができます。

観光鵜飼の詳細情報

三次鵜飼の観光シーズンは、6月1日から9月20日までで、毎晩19時30分から開始されます。料金や予約については、三次市観光協会を通じて確認することができます。観光客は、鵜匠たちの伝統技術を間近で体験でき、夏の夜にふさわしいひとときを過ごすことができます。

三次鵜飼の歴史

三次鵜飼の起源は、戦国時代に毛利氏に敗れた尼子氏の落武者たちが始めたと言われています。江戸時代に入ると、この地を治めた三次藩初代藩主の浅野長治が、長良川鵜飼を参考にして鵜匠制度を導入し、三次鵜飼を保護しました。これにより、三次鵜飼は一つの伝統文化としてその形を整えました。

明治時代には鵜匠制度が廃止され、その後は漁撈鵜飼(ぎょろううかい)として、実際に漁業を目的とした鵜飼が発達していきました。しかし、大正時代に入ると、三次の旅館や料亭が鵜匠を雇い、観光鵜飼が始まります。その後、1930年代には10人以上の鵜匠が活躍していたと言われています。

現代の三次鵜飼

1951年には水産資源保護法の施行により、漁撈鵜飼は禁止され、それ以降は観光鵜飼としてのみ行われるようになりました。かつては馬洗川や西城川を含む広い川面で行われていた鵜飼も、1992年に現在の周遊式に切り替わり、より観光客が楽しめる形に改良されました。また、同年には三次市が姉妹都市提携を結んだ中国四川省雅安市から、記念として白い鵜が寄贈され、シンボルとして観光客を楽しませています。

2015年には、昔から続く技術を今に伝える鵜匠たちの努力が評価され、広島県無形民俗文化財に指定され、地域文化の一翼を担っています。

まとめ

三次鵜飼は、古くから続く伝統的な技術と美しい風景が融合した、広島県三次市の夏の風物詩です。毎年多くの観光客が訪れ、鵜匠たちの見事な技を目の当たりにしながら、川面に広がる幻想的な光景を楽しむことができます。伝統を守りながらも現代に適応した三次鵜飼は、これからも地域の誇りとして受け継がれていくことでしょう。

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名称
三次鵜飼
(みよし うかい)

三次・世羅・庄原

広島県