温井ダムは、広島県山県郡安芸太田町に位置する、一級河川太田川水系滝山川に建設されたダムです。国土交通省中国地方整備局が管理を行う国土交通省直轄ダムであり、太田川の治水および広島県中西部や芸予諸島への利水を目的としています。特定多目的ダム法に基づいて2001年(平成13年)に建設され、高さ156メートルのアーチ式コンクリートダムとして完成しました。ダムによって形成された人造湖は「龍姫湖」と名付けられ、財団法人ダム水源地環境整備センターによりダム湖百選にも選ばれています。龍姫湖は広島県の主要な観光地のひとつでもあります。
滝山川は太田川の主要な支流のひとつで、島根県境の大平山(標高862.8メートル)西麓付近を水源とし、山県郡北広島町を南に流れます。途中、王泊ダムの人造湖である仙水湖にて北東から流れ込む高野川と合流し、王泊ダムを経て国道186号と並行する形で流れます。この流域には名勝・滝山峡があり、ダム地点を通過した後、深山峡で知られる深山川と合流して太田川に注ぎ、最終的に瀬戸内海へと流れ込みます。流路の全長は約34キロメートル、流域面積は約260平方キロメートルで、全域が中国山地内に存在する急流河川です。
温井ダムは太田川との合流点から約5キロメートル上流に建設されました。下流には王泊ダムの発電所である滝山川発電所、滝本発電所の取水口である滝本(滝山川)ダム、そして加計発電所といった中国電力の水力発電施設が連続しています。これらの施設の下流には加計の中心部が広がっています。なお、ダムが建設された際の所在地は山県郡加計町でしたが、平成の大合併により戸河内町と筒賀村が合併し、現在は安芸太田町となっています。ダムの名称は、水没した安芸太田町の温井地区に由来しています。
太田川は広島県の旧安芸国地域を主要な流域としており、古くは福島正則など広島藩の時代から治水や利水事業が行われてきました。しかし、太田川は「暴れ川」として知られ、しばしば洪水を引き起こし、流域に大きな被害をもたらしていました。明治時代以降、軍都として発展した広島市にとって、太田川の治水対策は特に重要な課題でした。1934年(昭和9年)に内務省の手で着手された太田川放水路の建設は、太平洋戦争による中断を挟みながらも、1965年(昭和40年)に完成しました。
太田川水系では、1912年(明治45年)に広島電灯が亀山発電所を運転開始したのを皮切りに、水力発電開発が進められました。1935年(昭和10年)には滝山川上流に王泊ダムが完成し、その後1957年(昭和32年)にはかさ上げによる再開発事業が行われ、発電能力が増強されました。これにより、太田川本流の立岩ダム、支流の柴木川にある樽床ダムと共に「太田川三ダム」として地域の電力需要に応えました。
1964年(昭和39年)の河川法改訂により、太田川水系は翌1965年(昭和40年)に一級河川に指定されました。その後、広島湾河口から73.5キロメートル地点の上流、現在の安芸太田町戸河内付近までが直轄管理区間となり、同年に「太田川水系工事実施基本計画」が策定されました。しかし、上中流部の治水対策は依然として不十分であり、洪水調節機能を持たない水力発電用ダムの存在により、治水面での課題は残されていました。
1972年(昭和47年)7月、梅雨前線による集中豪雨(昭和47年7月豪雨)が中国地方全域を襲い、太田川水系では特に滝山川と柴木川の上流域で総降水量が600ミリを超えました。この豪雨により、太田川は計画高水流量毎秒6,000立方メートルを超える洪水となり、旧加計町を中心に大きな被害をもたらしました。
広島市は原爆投下後、奇跡的な復興を遂げ、マツダの自動車工場をはじめとする工場が進出し、人口も急激に増加しました。これにより、上水道需要が急増し、太田川水系では上水道供給を目的としたダムなどの大規模な水道施設の整備が求められるようになりました。1975年(昭和50年)に完成した江の川本流にある土師ダムは、可部発電所を経由して太田川に江の川の河水を導水し、太田川本流の高瀬堰より取水する形で広島市などの水需要に対応しました。しかし、その後も広島市の人口は増え続け、ついには100万人を超えました。
また、離島である芸予諸島の水不足も深刻化し、新たな水資源開発が必要となりました。このような背景から、建設省は太田川水系の治水計画を再検討し、1975年4月に「太田川水系工事実施基本計画」を改定しました。この計画の中で、洪水調節を目的とする多目的ダムの建設が盛り込まれ、太田川本流と滝山川にダムを建設することが決定されました。
温井ダムの建設計画は、1974年(昭和49年)4月に開始された滝山川総合開発事業の一環として実施され、1977年(昭和52年)7月には基本計画が官報で告示されました。一方、太田川本流にも吉和郷ダムの建設が検討されました。吉和郷ダム計画は、山県郡戸河内町吉和郷に高さ120メートル、総貯水容量1億立方メートルの特定多目的ダムを建設し、太田川の治水と下流域への水道用水供給を目的としたものでした。しかし、地元住民の反対が強く、計画は予備調査の段階で停滞し、最終的には2004年にダム予備調査の予算が見送られ、事業は凍結状態となりました。
吉和郷ダム計画の難航により、滝山川の温井ダムが事実上の太田川水系本流の治水を担うことになりました。事業の進展は困難を伴いましたが、広島市や芸予諸島などへの水道用水供給も重要な課題であり、吉和郷ダム計画の代替として温井ダムが選ばれました。