旭山神社は、広島県広島市西区己斐(こい)に位置する神社で、地元では「鯉の神社」として親しまれています。この神社は、被爆建物の一つとしても知られ、広島の歴史を物語る貴重な存在です。
旭山神社の本殿には、息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、そして宗像三女神が祀られています。これらの神々は、日本の神話や歴史において重要な役割を果たしている神々であり、多くの参拝者が訪れる理由の一つとなっています。
旭山神社の創建年は明確には記録されていませんが、伝承によれば、神功皇后が西征(長門の熊襲族征討または三韓征伐)の際、この地にあった船着場に立ち寄ったことを機に創建されたとされています。
1555年(天文24年)には、毛利元就が厳島の戦いに向かう前に旭山神社を訪れ、必勝祈願を行いました。その際、ちょうど朝日が昇ったため、元就は非常に高揚し、士気を高めることができました。この出来事にちなみ、付近の山を「旭山」、そして神社を「旭山八幡宮」と名付けたとされています。
現在の社殿は1937年(昭和12年)に改修工事が行われ、整備されたものです。しかし、1945年(昭和20年)の広島市への原子爆弾投下により被爆しました。爆心地から約2.8kmに位置していた旭山神社は、爆風によって本殿を除く社殿の屋根が吹き飛ばされ、建物の一部が倒壊し、絵馬堂も傾いてしまいました。さらに、旭山で山火事が発生しましたが、地元の消防団の活躍と「黒い雨」により消火され、神社は焼失を免れました。その後、1948年(昭和23年)には残った部材を使用して修復が行われました。
神功皇后がこの地を訪れた際、県主が大きなコイを献上し、皇后が非常に喜んだことから、この地は「鯉村」と呼ばれるようになったと伝えられています。この伝承は、「己斐(こい)」という地名の由来の一つとされており、さらに広島城の別名である「鯉城」や、プロ野球チーム・広島東洋カープの名称の由来の一つともなっています。
また、旭山神社の裏手には己斐氏の居城であった己斐古城(岩原城)があったことも知られています。神社は己斐の高台の中腹に位置し、境内からは広島市内を一望することができます。この景観の良さから、毛利輝元も広島城の建設の際に下見のために訪れたとされています。
さらに、広電井口駅前の西部埋立第二公園にある小己斐島の「小己斐明神」は、江戸時代に己斐村の村民が新たに開拓した地の守護神として、旭山神社の分祠を合祀したことからその名がついたと言われています。
己斐はまた、児童文学『ズッコケ三人組』の舞台である「花山町」のモデルとされており、「花山神社」は旭山神社がモデルとなっています。観光地としても展開されており、境内にはそのモニュメントも設置されています。
旭山神社へのアクセスは、JR西広島駅で下車し、そこから徒歩約10分です。