白神社は、広島市中区中町に鎮座する歴史ある神社で、市民からは「しらかみさん」として親しまれています。この神社は旧郷社であり、長い歴史を持つ神社として、多くの人々の信仰を集めています。
かつて、白神社は旧国泰寺(現在のANAクラウンプラザホテル広島の付近)に連なる広大な神社でした。しかし、1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾により、一時的に焼失し、現在のように規模が縮小されました。神社の周辺には幅100メートルの平和大通りが整備され、近代的なビルが立ち並んでいます。そのため、現在の白神社は、かつての広大さを感じさせない、こぢんまりとした佇まいを見せています。
境内にある岩石や楠木には、広島の三角州形成による海岸線移動の歴史が記されています。特に、「原爆の熱線により赤く変色した岩石」や「被爆した楠木」は、広島の被爆の歴史を物語る重要な証拠として、訪れる人々にその歴史的背景を伝えています。これらの遺構は、歴史的な検証にとっても極めて重要な存在となっています。
白神社では、主祭神として菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀っています。さらに、相殿には天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊、天照大神が祀られています。これらの神々は、古くから多くの人々の信仰を集め、地域の守護神として敬われています。
白神社のある中町一帯は、かつて海であり、現在の神社がある場所は海面から突き出た岩礁でした。当時、この岩礁に船が衝突する事故が頻発していたため、船人たちは岩礁上に白い紙を立て、海難事故を防止していました。その後、三角州の発達や干拓工事により岩礁は次第に地上に露出し、海難事故も減少しました。この時、白紙に代わる守り神として祠が建てられ、この祠が「白神(しらかみ)」と呼ばれ、地域住民の信仰を集めるようになりました。この白神社の創建時期については記録がなく、詳細は不明です。
時が経つにつれて、祠は徐々に規模を拡大し、1591年(天正19年)9月、広島城を築いた毛利輝元によって新たな社殿が建立されました。この社殿は、城主の氏神として、また広島城下の総産土神(そううぶすながみ)として信仰を集め、最盛期には近隣の旧国泰寺に連なる広大な境内を持つ神社へと発展しました。
1945年8月6日の原爆投下により、爆心地から約600メートルに位置する白神社は、地下に保存されていた重要書類を除いて、すべての建造物が焼失しました。しかし、同年10月には祭祀を執行するために急造の仮社殿が建てられ、その10年後の1955年(昭和30年)12月に再建が行われました。現在の社殿は1989年(昭和63年)に再建されたものです。
白神社はその歴史的価値から、広島市によっていくつかの文化財に指定されています。特に、「白神社の岩礁」は昭和59年11月28日に史跡および天然記念物として指定され、また「旧国泰寺愛宕池」も同日に史跡として指定されています。これらの文化財は、広島の歴史を物語る貴重な遺産として、今もなお多くの人々にその存在を伝えています。