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亀居山放光院 大願寺

(だいがんじ)

大願寺は、広島県廿日市市宮島町に位置する高野山真言宗の寺院です。山号は亀居山、院号は放光院と称されており、本尊は薬師如来を祀っています。大願寺は、宮島の厳島神社との歴史的な関わりが深い寺院で、神仏習合時代には厳島神社とともに地域の信仰の中心として機能していました。

本堂と仏像

大願寺の本堂には、神仏分離令によって厳島神社から移された秘仏の弁才天像が安置されています。この弁才天像は、毎年6月17日に開帳される特別な仏像で、他にも阿弥陀如来像や護摩堂の元本尊であった如意輪観音像が脇侍として安置されています。これらの仏像は、宮島現存の中でも特に古いもので、木造薬師如来像(重要文化財)や、千畳閣の本尊であった釈迦如来坐像(重要文化財)など、数多くの貴重な仏像が本堂に奉安されています。

大願寺の歴史

大願寺の創建年代については詳しくは不明ですが、寺伝によれば、平安時代初期に空海(弘法大師)によって開かれたとも言われています。一方で、鎌倉時代初期の建仁年間(1201年 - 1204年)に了海という僧侶が開山したとの説もあります。いずれにせよ、大願寺は古くから大聖院とともに厳島神社との関わりが深く、信仰を集めてきました。

日本三大弁財天

大願寺には「嚴島弁財天」が奉安されています。この弁財天は、鎌倉の江ノ島、琵琶湖の竹生島と並び、日本三大弁財天の一つとされています。弘法大師が唐から帰国する途中、嚴島に立ち寄り、弁財天を嚴島大明神として勧請し、厳島神社に祀られたと伝えられています。しかし、明治時代初期の神仏分離令により、この弁財天は大願寺に移され、以降、当寺において大切に祀られています。

大願寺の境内

護摩堂

護摩堂は、平成18年(2006年)に再建されました。この護摩堂は、明治時代初期に境内にあったものを140年ぶりに再建したものです。堂内には、総白檀で作られた1丈6尺の不動明王が安置されています。不動明王の背後には松の木で彩色された火炎が施され、台座には珪化木が使用されています。この珪化木は古代の地殻変動で化石化した木であり、不動明王の厳かな姿をより一層引き立てています。

山門

大願寺の山門は、江戸時代元禄年間(1688年~1704年)に建造されたと伝えられています。この山門は幅一間(約1.82メートル)で、二階建ての構造をしています。両脇には仁王像が安置されていますが、これらの仁王像は明治初期に、宮島フェリー乗り場付近にあった仁王門から移されたものです。このため、山門の中央部分は瓦葺であるのに対し、両脇の仁王像の上には銅板葺が施され、後に増築された様子が伺えます。

嚴島龍神

大願寺の境内には、嚴島弁財天のお使いとされる「宇賀神」を祀る社が建っています。宇賀神は、頭が人で体が蛇という姿をしており、弁財天の頭上に乗る姿で表現されています。当寺ではもともとこの宇賀神像を本堂内に安置していましたが、昭和62年に先代住職がより多くの参拝者が拝めるようにと、境内に社を構えました。

地蔵堂

地蔵堂には、子育て、延命、水子の供養を願う地蔵菩薩が祀られています。お堂は篤信者の寄進によって建てられ、毎月24日には地蔵菩薩の縁日が行われます。お堂の脇には、水子供養のために多くの地蔵菩薩が奉納されており、訪れる人々に深い感銘を与えています。

平和観音

平和観音は、1994年に建立された石像で、全長は約2.5メートルです。右手に宝珠、左手に蓮華を持つ姿であり、周囲には六体の地蔵菩薩が安置されています。この平和観音像は、原爆の犠牲者を慰霊するために建立されました。戦後、大願寺の境内には原爆の被災者が運び込まれ、当時の惨状を今に伝えるため、多くの有志が立ち上がり、現在の観音像が奉納されました。

その他の見どころ

境内には、伊藤博文公が植えたと伝わる松の跡や、岩国の錦帯橋の精巧な模型も展示されています。また、勝海舟と長州藩士との会談が行われた「勝海舟・木戸孝允会見の間」も見どころの一つです。この部屋は、幕末の大きな時代の変動を感じさせる重要な場所として知られています。

Information

名称
亀居山放光院 大願寺
(だいがんじ)

宮島・広島市

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