平和の灯は、広島県広島市の広島平和記念公園内に設置されている火台とその灯火です。この炎は反核と恒久平和の象徴として燃え続けており、広島における平和への願いを象徴しています。
平和の灯は、1964年8月1日に設立され、設計は著名な建築家である丹下健三氏が担当しました。この灯火は「平和の灯建設委員会」によって建設され、その火種は全国12の宗派からの「宗教の火」や、全国の工場地帯から提供された「産業の火」を集めたものです。中でも、宮島の弥山にある「消えずの霊火」が使われており、この火は建立以来、絶えることなく燃え続けています。
この灯火は、1994年のアジア競技大会や1985年の夏季ユニバーシアードなど、国内外で開催されたスポーツイベントの聖火としても採火され、その平和の象徴としての役割が強調されてきました。
平和の灯の火台は鉄筋コンクリートで構成されており、手のひらを大空に広げた形を象徴しています。高さは3メートル、幅13メートル、奥行8メートルという大きさで、平和への祈りが込められたこの炎が中央で燃え続けています。
平和の灯の南側には「平和の池」と呼ばれる幅17メートル、長さ70メートルの池があります。この池は、1957年に建立され、当初は小規模なものでしたが、平和の灯が設置される際に拡張されました。この池と灯台は、広島平和記念公園の中で重要なシンボルとなっています。
平和の灯は、北から順に原爆ドーム、平和の灯、慰霊碑、広島平和記念資料館と、南北に一直線に配置されています。この配置は、広島の平和への願いと、過去の惨劇を忘れないという強い意志を表現しています。
1964年1月、核兵器禁止平和建設国民会議が平和の灯の建設を正式に公表しました。同年3月には、平和の灯建設委員会が初会合を開き、5月26日に起工式が行われました。そして8月1日、点灯式が行われ、この平和の灯が灯されました。点火は、1945年8月6日、広島に原爆が投下された日に生まれた7人の女性たちによって行われました。毎年8月1日には「平和の灯まつり」が開催され、多くの宗教団体や市民が集まり、平和への誓いを新たにしています。
平和の灯は、1974年まで毎年「平和の灯まつり」を開催していましたが、以降は様々な平和イベントや国際的なスポーツ大会の聖火として利用されています。1994年には広島で開催されたアジア競技大会でも、この平和の灯が聖火として使用され、北京大会の聖火と共に広島の地で集火されました。
「原爆の火」として知られる炎は、広島市内ではなく、福岡県八女市星野村に保管されています。この火は、広島市で被爆した後に持ち帰られた火で、星野村出身の男性が叔父の消息を探すために入市し、地下倉庫に残されていた火を持ち帰ったことが始まりです。1968年に星野村がこの火を「平和の火」として引き継ぎ、現在でもこの火は守られています。
この「原爆の火」は、広島の「平和の灯」、長崎の「ナガサキ誓いの火」と共に、平和の象徴として各地で使用されています。これらの火は全国各地で集火され、平和を祈る象徴的な存在となっています。また、この実話に基づいて作られたカンタータ『この灯を永遠に』は、全国で歌われ、平和へのメッセージを広めています。
平和の灯は、広島の平和記念公園において、核兵器廃絶と恒久的な平和を願う象徴的な存在です。この炎は、原爆投下による被害の記憶と、二度と繰り返さないという決意を示しています。また、平和への強いメッセージを国内外に発信し続けており、多くの人々が訪れる広島平和記念公園の中心的な存在となっています。
平和の灯は、広島平和記念公園における重要なシンボルであり、核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う象徴です。この灯火は、設立以来ずっと燃え続けており、多くの人々に平和への誓いを呼びかけています。今後もこの灯火は、平和への願いとともに、世界中の人々に広島のメッセージを伝え続けることでしょう。