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頼山陽史跡資料館

(らい さんよう しせき しりょうかん)

頼山陽史跡資料館は、広島県広島市中区袋町に位置し、歴史家・漢詩人である頼山陽および頼家の関連資料を展示する博物館です。この施設は、広島市の中心部にあり、旧日本銀行広島支店の東隣にあります。敷地面積は約1,700平方メートルで、広島県が所有し、公益財団法人頼山陽記念文化財団が管理運営を行っています。

資料館の歴史と再開発

資料館は、1935年(昭和10年)に「山陽記念館」として開館されました。これは、頼山陽の両親である頼春水・頼梅颸夫妻が暮らした旧居を基に整備されたものでした。しかし、老朽化に伴い、1995年(平成7年)に改築され、「頼山陽史跡資料館」として再開館しました。国の史跡である「頼山陽居室」を中心に、展示室や茶室、和風建築と庭園が併設されています。

被爆遺構と庭園

資料館の敷地内には、1945年(昭和20年)8月6日の原爆被災時の遺構がいくつか残されています。門や石畳、塀の一部、そして庭内のクロガネモチ(被爆樹木)などがその一部です。また、旧館の手摺を再利用したテラコッタのモニュメントも、被爆遺構として重要な存在です。

展示されている資料

頼山陽史跡資料館では、広島頼家から寄贈された「杉ノ木資料」や、頼山陽の祖父である頼惟清ゆかりの竹原頼家からの寄贈資料などが展示されています。また、旧館の模型や被爆前後の写真も展示されており、江戸時代の広島の文化と歴史を知る貴重な資料となっています。

内部の施設と展示

頼山陽居室

頼山陽居室は、1800年(寛政12年)に頼山陽が脱藩を企てた後、廃嫡されて3年間幽閉されていた場所です。この期間、山陽は執筆に励み、代表作「日本外史」を著しました。居室は、1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されましたが、1945年の原爆によって全焼し、現在の建物は1958年(昭和33年)に復元されたものです。

展示室と茶室

展示室は1994年に建築されたもので、頼山陽や頼家に関する貴重な資料が展示されています。また、同年に建築された8畳の和室からなる茶室もあり、訪れる人々に静かなひとときを提供しています。

庭園

庭園は、1994年に整備され、中根金作の監修による「文人庭」と呼ばれる中庭があります。庭内には、被爆を耐え抜いたクロガネモチの木があり、その存在は資料館の歴史と結びついています。また、旧館の手摺を再利用したテラコッタのモニュメントも、庭園の特徴的な要素となっています。

正門と石柱

資料館の正門および石柱は、資料館のシンボルとなっています。正門の詳細は不明ですが、石柱は1927年(昭和2年)に建立され、1945年の原爆によって被爆しました。現在の石柱は、被爆時に折れた部分を繋ぎ直して修復されたものであり、その歴史的価値を今に伝えています。

頼家の歴史と発展

頼家の起源と発展

頼家は、中世には小早川氏に仕えて三原の頼兼村に住んでいましたが、その後竹原に移り、「頼兼屋」という屋号で商業を始めました。江戸時代中期になると、当主頼惟清(紺屋又十郎)の元に5人の息子が生まれ、その中で3人の兄弟が学問で名を挙げることとなりました。長男の頼春水、三男の頼春風、そして四男の頼杏坪がその3兄弟です。

頼家の広島移住

頼春水は、大阪で学問を究めた後、広島藩主浅野重晟に藩儒として招聘され、広島に移住しました。その後、頼家は西研屋町(現在の紙屋町一丁目/立町/本道)に仮住まいをしていましたが、寛政元年(1789年)に藩から屋敷を拝領し、現在の杉ノ木小路に移り住みました。

頼山陽の幽閉と脱藩

寛政12年(1800年)、頼山陽は脱藩を企てましたが、すぐに発覚し連れ戻され、この地で幽閉されることとなりました。この幽閉期間中に山陽は、後に「日本外史」として知られる大作を執筆しました。その後、山陽の長男である頼聿庵が家督を継ぎ、藩校学問所の教授として活躍しました。

頼山陽史跡資料館の再建と現在

資料館の再建と復元

頼山陽史跡資料館は、1935年(昭和10年)に「山陽記念館」として開館しましたが、1945年の原爆によって被爆し、大部分が焼失しました。戦後、1958年(昭和33年)には頼山陽居室が復元され、その後も広島県や財団により維持・管理が続けられてきました。1995年(平成7年)には、旧居室と被爆遺構を残して解体・再建され、「頼山陽史跡資料館」として新たに開館しました。

頼山陽とその影響

頼山陽(安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人として広く知られています。彼の主著『日本外史』は、幕末から明治にかけての日本社会に大きな影響を与え、特に尊王倒幕の志士たちに強い影響を与えました。戦後は一時的にその評価が低下しましたが、作家の中村真一郎らによる再評価が行われました。

頼山陽の生涯とその業績

頼山陽は、幼少期より詩文の才能に恵まれ、歴史への深い興味を持って育ちました。彼の父、頼春水は広島藩の儒学者として著名であり、山陽もその影響を受けて成長しました。頼山陽の代表作『日本外史』は、彼の生涯の集大成であり、現在でもその歴史的価値は高く評価されています。

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名称
頼山陽史跡資料館
(らい さんよう しせき しりょうかん)

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