広島県 » 宮島・広島市

鏡山城

(かがみやまじょう)

鏡山城は、広島県東広島市に位置していた日本の山城です。その城跡は現在、国の史跡に指定されています。鏡山城は、その戦国時代における重要な役割と、大内氏や尼子氏といった有力な戦国大名たちの歴史に深く関わっています。

城の概要

鏡山城についての文献上の初見は、寛正年間(1460~1465年)にまで遡るとされています。この時期に小早川煕平宛の「細川勝元感状写」にその名が見られ、城の築城は南北朝時代頃に行われたと考えられています。城の遺構は、発掘調査によって確認されたもので、戦国時代の大規模な山城として高く評価されています。

応仁の乱と鏡山城

鏡山城が築かれた安芸国は、応仁の乱の時代には東西に分かれて激しい争いの舞台となっていました。そのため、鏡山城も度々争奪戦の対象となり、旧安芸守護である安芸武田氏や沼田小早川氏からの攻撃を受けています。

尼子氏との攻防

戦国時代になると、出雲の尼子氏が安芸国に勢力を伸ばし始め、1523年には鏡山城も尼子経久率いる軍勢の攻撃を受けることになりました。この時、城主であった蔵田房信は奮戦し、尼子軍に大きな損害を与えました。しかし、尼子氏に従属していた毛利氏の当主・毛利元就が計略を用いて鏡山城を落とし、蔵田房信は最終的に自害しました。この戦いは、毛利元就の名声をさらに高める出来事となりました。

鏡山城のその後

その後、1525年に大内氏が鏡山城を奪回しましたが、拠点としての役割は徐々に移され、鏡山城は次第にその重要性を失っていきました。大内氏はその後、近隣の杣城(曽場が城)槌山城を築き、拠点を移しました。このようにして鏡山城はその歴史的役割を終えたとされています。

現在の鏡山城跡

現在、鏡山城跡は城址公園として整備されており、訪れる人々がその歴史的な雰囲気を感じることができる場所となっています。崩れた石垣や井戸、土塁、竪堀といった当時の遺構が今も残っており、戦国時代の山城の姿を今に伝えています。特に、鏡山城の頂上付近にある郭(くるわ)や、城壁を形成する切岸(きりぎし)、防御設備である竪堀(たてぼり)などが良好な状態で保存されています。

歴史的な背景

安芸国における拠点としての重要性

鏡山城は、室町時代後期において、安芸国と備後国の政治的・軍事的な拠点として機能していました。東の細川氏と西の大内氏の勢力が拮抗する中、大内氏は鏡山城を重要な拠点とし、領国の東端を守るために利用しました。この城には、城衆と呼ばれる守備兵が交代で配置されており、また城の維持管理のための土地も設定されていました。

尼子氏の南下と戦国時代の鏡山城

1523年、尼子氏が安芸国に侵攻したことで、この地域も戦国時代の本格的な舞台となります。鏡山城は尼子軍の攻撃を受け落城しましたが、その後大内氏が奪回。しかし大内氏は新たに杣城槌山城を築いて拠点を移し、鏡山城はその役割を終えたとされています。

鏡山城跡へのアクセス

鏡山城跡へは、JR山陽本線西条駅からバスで約10分の「鏡山公園入口」バス停で降り、そこから徒歩で約20分で山頂にある1郭に到達できます。また、車でのアクセスも可能で、山陽自動車道の西条インターチェンジからは約15分で鏡山公園の駐車場に到着します。

鏡山城の文化財

鏡山城跡は、安芸国における大内氏の支配拠点として重要な役割を果たした城であり、その歴史的価値は高く評価されています。現存する遺構や遺物からも、当時の城郭の姿や戦国時代の軍事的な活動が窺えます。特に、城掟として制定された「安芸国西条鏡城法式条々」は、大内氏がこの地域を統治する際の重要な文書であり、その意義は大きいものです。

訪れる際の見どころ

鏡山城跡の展望台からは、西条盆地や瀬戸内海を望むことができ、美しい景色を楽しむことができます。また、四季折々の自然も楽しめる場所であり、春には桜やツツジ、秋には紅葉が美しく、訪れる人々を魅了します。

Information

名称
鏡山城
(かがみやまじょう)

宮島・広島市

広島県