竹林寺は、広島県東広島市に位置する真言宗御室派の寺院です。標高535mの篁山(たかむらやま)の山頂付近にあり、その歴史は非常に古く、開創は天平2年(730年)とされています。行基がこの地に寺を建立し、桜の木で刻んだ千手観音像を本尊としたことから、当初は「桜山花王寺」と呼ばれていました。その後、寺号は現在の「竹林寺」に改められました。
竹林寺の歴史は非常に長く、幾度もの変遷を経て今日に至ります。縁起によれば、行基がこの地を訪れた際に、山上の桜の樹で千手観音を刻み、本尊として安置しました。しかし、寺の縁起にはいくつかの矛盾点もあり、小野篁(おののたかむら)との関連性がやや強引に結び付けられている部分も見受けられます。それにもかかわらず、応安4年(1371年)には、今川了俊が竹林寺を小野篁の故郷とする伝聞を残しており、後世にもその影響が見られます。
天文14年(1545年)には、竹林寺の子院である乾蔵坊(けんぞうぼう)の僧、もしくは平賀氏の当主で僧籍に入った平賀興貞によって再興されました。しかし、慶長5年(1600年)に毛利輝元に代わり、福島正則が安芸国の領主となると、正則による寺院統制の影響で竹林寺の寺領が没収され、寺は衰退しました。
竹林寺の本堂は、国の重要文化財に指定されており、永正8年(1511年)に再建されたものです。また、境内には数多くの文化財が伝わっており、その中でも木造地蔵菩薩半跏像や護摩堂、十王堂、縁起絵巻などが特に重要です。これらの文化財は、県や市によって指定されており、竹林寺の長い歴史と文化的価値を象徴しています。
また、竹林寺は自然豊かな環境に囲まれており、寺の周囲は「竹林寺用倉山県立自然公園」に指定されています。春には山ツツジや桜が咲き、夏にはアジサイや蓮が彩りを添えます。秋には銀杏や紅葉が美しく、訪れる人々を楽しませてくれるでしょう。このように、四季折々の自然美を堪能できる場所でもあります。
竹林寺は標高が高いため、展望も素晴らしいものがあります。特に鐘楼からは、西条盆地や沼田川の河口、さらには瀬戸内海までが一望でき、訪れる人々に感動を与えます。篁山の展望所としても親しまれており、多くの参拝者がその景色を楽しんでいます。
毎年旧暦の1月18日には「祈祷護摩供養」が行われ、新暦の5月8日には「華まつり」が開催されます。これらの行事は、多くの参拝者や観光客が集まり、竹林寺の伝統と文化を深く感じることができる貴重な機会となっています。
竹林寺の境内には、本堂をはじめ、護摩堂や鐘楼があり、北側からの参道も整備されています。かつては多くの子院が存在していましたが、現在は小堂などが残るのみです。かつて存在していた三重塔は、現在、東京都の椿山荘へ移されています。
特に本堂南西の鐘楼付近からの眺めは素晴らしく、西条盆地や沼田川の河口、さらには瀬戸内海までが見渡せる絶景が広がっています。このような自然と歴史が調和した竹林寺は、訪れる人々に心の安らぎを提供してくれるでしょう。
竹林寺の本堂は、永正8年(1511年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。この本堂は、長い歴史を持ち、寺の中心的な存在として多くの参拝者を迎えています。
竹林寺には、本堂以外にも数多くの文化財が残されています。広島県の重要文化財には「紙本著色竹林寺縁起絵巻」や「木造地蔵菩薩半跏像」があり、東広島市の重要文化財として「写本紙本著色竹林寺縁起絵巻」や「竹林寺龍虎の間襖絵」などが指定されています。これらの文化財は、竹林寺の歴史と文化の豊かさを物語る貴重な遺産です。
また、竹林寺境内には石造物も多く残されており、これらも寺の文化財として重要な役割を果たしています。